気づきブログ【毎日の気づきにチャンスあり】 -40ページ目

感謝するという事。

こんにちは。

気づきブログのかんかんです。



さて、昨日「改めて感謝」というブログを書きましたが、

最近よく感謝という言葉を耳にします。


何事にも感謝、ということをよく言いますが、

ぼくは今回のことがあって感謝ということを忘れていました。



今回何があったかということから、

今の自分の状態が昨日よりもさらにいい状態になったお話を

恥を忍んでお話させていただきます。

(ただし、見る人が見ればわかってしまい、

 それに気づいたらその人が悲しみますので、あまり具体的には書きません)


それはこういう話でした。


ある仕事を依頼され、グループでやることになりました。

その仕事をやるために役割分担をし、

目的に向かってがんばろう!ということになったのです。


そして、目的は達成されました。


しかし、一緒にやった仲間から、

「フォローに疲れた」だの「報告・連絡・相談がなってない」だの

散々こきおろされました。



ここで、僕の精神状態を話します。


(一日目)

まず、この話を聞いたときは、

もう「怒り・怒り・怒り」でした。


僕はその仕事は成功したから、

僕なりには満足していました。

成功したのに、非難する人がいたことが信じられませんでした。

僕ならば、「いろいろあったけど成功してよかった」と言ったと思うから。

(まあ、実際に「大成功でよかったね」とメールはしましたが)



そして、まず彼女たちを心の中で責めました。

「なぜ成功したのに、もっと喜ばないの?」とか、

「そんな気持ちで仕事していたの?」とか。

また、「お前ら人に対する礼儀がなってないよ」とか、

「器がちっちゃいなー」とも思いました。

また、こうも思いました。

「キミたちのフォローもしている」

「キミたちは目的に向かって仕事をしているのではなく、

 自分たちがミスなくやることが目的になっている」と。

(ただし、状態が変った今もこの気持ちは変りませんでしたが・・・^^;)



そして、それをそのまま友達にも愚痴りました。

友達は「ほっとけよ、世の中にはそういうやつもいるんだから」とか

「かんかんは、精一杯やったよ」とほんとに慰めてくれました。


また何があったかはわからないけど、がんばれーと励ましてくれる人が大勢いました。



(二日目)

感情というのは不思議なもので、いらいらはすれど、

昨日ほどは怒っていませんでした。


まだ、しっくりこないものがあり、午前中はほんとまだ苦しかったと思います。

そのことが中心にぼくの頭がぐるぐる回ってました。


しかし、午後に入り、客観的に見ると、

ほんと自分がちっちゃく見えました。

なんで、こんなことで落ち込んでるの?

なんで、こんなくだらない連中のちょっとした言葉に左右されてるの?と。


そして、昨日何人かの知り合いにはメールをしましたが、

「自分は、楽しく生きる、かっちょよく生きるということを忘れてた。

 そして、それを再認識した」と。

さらに、

「もう完全復活したから大丈夫。」と。


でも、このメールを受け取ったみなさん、

及び昨日のブログを見た人には申し訳ないのですが、

まだ完璧には復活していませんでした。


というのは、気分的にはもう平気だったのですが、

なにやらしっくりこないものがあったのです。



(三日目)

それが今日なのですが、しっくりこないものに気づいたのです。

びっくりするくらいそれに気づいたときに気分がす~っとしました。

(ここで引っ張ってみようかな~、なんていじわるなことも考えちゃったりしてます^^;)


まあ、気になって眠れなくて寝不足になって

仕事が手につかなくなっちゃう人がいたら困りますので続きを話しますね。



実は気づいたこととは、期待されていたという事だったのです。

彼女たちがあのようにきつい言い方をしたのは、

彼女たちの期待値を越えて上げられなかったということなのです。


もちろん、彼女たちの言い方には問題があると今でも思ってます。

そして、そこがよくなっていけば、もっと人生は幸せになれると今でも思ってます。



まあ、それはさておき、先ほどの「期待値を越えてあげられなかった」ということに気づいたとき、

自分はなんてちっちゃいことを気にしていたのだろうと思いました。


そして今は反省しています。

自分が期待に応えてあげられなかった事に。

他にもいろいろ反省しましたが、

反省とは自分でするものであり、

人に公表するものではないと思いますので、

これ以上は書きません。



そして、そういうことに気づかせてくれた彼女たちに今は感謝しています。



そして、何よりも感謝しているのは、

心の底から励ましてくれた友人や、

事情もわからないのに、精一杯励ましてくれた人たちです。

何度でも言います。


ほんとうにありがとう。



さて、みなさんに感謝しありがとうと言うだけでは、

気づきブログを立ち上げてる僕としては納得しません。(笑)

なので、明日この感謝するという事についてお話させていただきたいと思います。

今日は長くなりましたので、この辺で。



長々とありがとうございました。



改めて感謝!

こんにちはー。

気づきブログのかんかんです。



今日は気づきではありません。

実は、ここ2週間くらいネットを使ったいやなことがあり、ちょっと凹んでました。

あまり凹むとかないので、久々に凹み、ちょっと復活まで時間がかかりました。



でも、今回復活できたのは、友達や、ここのブログで知りあった方、

他のブログで知りあった方などから、励ましのメールや電話を頂いた事にあると思います。

一人一人にはメールを返させていただきましたが、

改めん、ほんと、メールをくださったみなさん、感謝です!

ありがとうございました!



人は一人では生きられないと常々思っていましたが、

ほんと支えられて生きているのだなーと実感いたしました!



ありがとうございました。



最後に、もし今苦しんでいる人がこのブログを読んでくれたなら、

苦しいーと周りの人に打ち明けましょう!

きっと支えてくれる誰かがいますよ!

mustな人生、may butな人生

こんにちは。

気づきブログのかんかんです。



さて、最近いろいろといいこといやなことが続いていますが、

前からいっている通り、いやなことからも何かを学ぶということを考えてみました。



今回2つあったいやなことは、

メールやブログのコメントでした。

もともと、どこにいても相手の都合を気にせず、

連絡を取れるツールとしてのいい面を持っているのが、

このメールだと思いますが、

感情を伝えにくいという面も持っているのも事実です。


しかし、今回、その感情的な面をストレートに伝えられ、

悲しくなり、憤り、そして落ち込みました。



しかし、こういうメールを送る人やコメントをする人にこんな面があることを見つけました!

これが今回の気づきです。



「mustな人生を送ると、何もかもが許せなくなる」



世の中には、しなければならないことが多いような気がします。

仕事をしなければならない、

仕事の中でも、あれをしなければならない、

これもやらなければならないと多くのことがありますよね。


しかし、これが染み付いてしまうと、

何かをしなくてはいけないという固定観念にとらわれてしまい、

ちょっとしたことでも、許せなくなってしまうことがあります。



たとえば、「仕事中は私語は慎まなくてはいけない。」

確かに頻繁な私語はいけないと思います。

しかし、ほんとに私語は厳禁でしょうか?

話したい何かってないでしょうか?

もし、誰かが悩んでいて、すごく苦しそうな顔をしていて、

あなたに何かを相談しにきたとしても、

仕事中は私語はいけないからと、無下にことわったら、

その人は何かを抱えたまま仕事をしなくてはいけないことになります。

そういった状態での仕事は、ほんといい成果を得られないと思います。

多少の時間を作ってでも、話を聞いてあげる事が

逆に仕事の成果をあげるという目的に対してはいい方向に向くこともあると思います。



また、こんなこともないでしょうか。

たとえば、AさんがB君を好きでしょうがないとします。

でも、B君にはCさんという素敵な彼女がいます。

そこで、Aさんは友人のDさんに相談しました。


Aさん「ねえねえ、B君を今度食事に誘おうと思ってるんだけど、

    どう思う?」


さて、みなさんはなんてお答えしますか?


1、「B君には、Cさんという彼女がいるんだから、そういことをすべきでないよ」

2、「B君には、Cさんという彼女がいるのはわかってるよね。

   そこをしっかりとわかった上で誘うのならいいんでない?」

3、「恋愛は自由競争だよ!どんどん誘っちゃいなよ!」


いろいろな意見があると思いますが、

僕ならば、2を選びます。


3の意見はしごくもっともな意見だと思いますが、

恋愛をする上で、最低限のマナーは必要だと思います。


また、1の意見はmust理論(勝手に名前付けました・・・笑)が強すぎて

相談してきた相手に対して、ほんとに相手のことを考えていないと思います。

相談をするときというのは、よく

「もう答えが決まってるんだよ、

あとは背中を押してほしいだけなんだよ」

と言われます。

もちろんこの場合だって、そうだと思います。

そこに常識という名のmust理論を組み込んでは

相手を落ち込ませる以外の何者でもないのではないでしょうか。



また、自分が悪いと思ってることを指摘されると、

「わかってるよ!」

って思うことはありませんか?
きっとAさんだって、B君に素敵な彼女がいるのは分かっていると思います。

しかし、それでも誘いたい、そう思ったから、

Dさんに相談したのではないでしょうか?


そして、このmust理論に対し、

またしても僕が勝手に名づけたのですが、

may、but理論が2のような言い方です。


このmay、but理論とは、

相手に「~してもいいんじゃない」と相手を肯定すると同時に、

それでもこういことは注意しなくちゃいけないよ、

という面を持っています。

こうすると、相手はしてもいいんだという安心感と、

注意するという適度な緊張感をもって何かを行動する事ができると思います。



普段、何か大変な事があったり、

どうもうまくいかないことがあったときに、

自分がこのmust理論でいないかを

考えてみるといいかもしれませんね。


それと、仕事ができる人は「~すべきだ」という言葉が

ほんとに少ないと思います。

もちろんそういう言い回しをするときは多少はあると思いますが、

基本的には、相手を肯定する事が多いのではないでしょうか。



今回はそのいやなことからこういったことを学びました。



今は、こういうことが二回続けてきていますが、

(もちろんそれ以上に嬉しい事のほうが多いですが・・・)

何かの試練だと思い、がんばろうと思っています!



みなさんは、mustな人生を送りますか?

それともmay、butな人生を送りますか?

最後に、ぼくも読者登録させていただいている「freeblo27」さんという方が、

常識ということについて非常にうまくよく話されているブログ がありますので、

ぜひ読んでみてはいかがでしょうか?

 

常識の基準 ←freeblo27さんの5/30のブログです。


今日の気づき。

こんにちは。

気づきブログのかんかんです。


いつも来ていただいてるみなさま、こんにちは。

いつもありがとうございます!


初めての方、はじめまして。

気づきをテーマに人生を明るくをモットーに

立ち上げた気づきブログといいます。

よろしくお願いします!



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さて、みなさんは、迷ってる事とか悩んでいることとかありますか?

僕は、あまり迷ったり、悩んだりってありません。

やはり元来の楽天的な性格からでしょうか?(笑)


しかし、今でこそ、明るく、前向き、毎日楽しくで生きていますが、

昔はいろいろなことに悩み、迷い、そして落ち込んでいました。

(これを読んでいて、僕に直接あったことがある方、

 信じられませんよねー?って自分で言うなって?笑)



こんなネガティブな僕があるとき、友達と喧嘩をしたんですね。

で、やっぱり悩みました。悩んで悩んで疲れるくらい悩みました。

で、ふと思ったのですが、悩んでる事って

なんであんなこと言ったんだろ?とか、

なんであんな態度取るんだろうとか、

相手がしたことだけを考えていたんですね・・・


そんなときにこんな気づきがあったんです。



「考えてもわからないことは考えない」



つまり、考えても考えても答えがでないことを

ず~っと考えてたんですよねー。



こういうことって人生の中でありませんか?


なんで上司はあんな指示を出したんだろ?とか、

なんで彼氏はメールを出してくれないんだろうとか、

そんなこと悩んでたりしませんか?



でもね、誰かが何を考えてるかなんて

その誰かに聞かないとわからないものなんですよね。


だから、そういうときは、

ずばっと聞いちゃうのがいいと思います。



そうすると・・・


1、もやもやが解消される

2、悩んでいる時間が少なくなる

3、喧嘩してたら、仲直りができるかもしれない


などいいことが多いのですよねー。



もし、何か今悩んでいるとしたら、

その悩んでいる事が解決できる

誰かを探してみてはどうでしょうか?



考えても考えても答えが出ないことを考える。

これほど、無駄な時間はないと思います。


これは、結果が出ないとわかっているのに、

がんばってるってことですからねー^_^;

さて・・・

おはようございます。

気づきブログのかんかんです。


いつも来ていただいているみなさん、

もし、昨日の2番目の記事を読んでいたら、

申し訳ありません。

記事を削除させていただきました。


それと、昨日の1番目の記事の下のほうに書いた

メールとコメントの記事も削除させていただきました。


前者は、自分の中で消化すべき問題だったということ、

後者はあまりにも自分本位な意見の述べ方で、

鼻高々になってしまったモノの言い方だったという理由で、

削除させていただきました。


もしあの記事を読んで気分を悪くされた方がいたら、

申し訳ありませんでした。


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さて、続きです。


一昨日は、

「別にネガティブな面があってもいい。

 でも、ネガティブな面<ポジティブな面でなくてはいけない」

昨日は、

「必ず、表があれば裏がある。

 だから、おもしろい」

でした。


そして、予告したとおり、

今日は、考え方のスイッチを切り替えるです


みなさんは、毎日誰かと食事に行ったり、

飲みに行ったりすることってありますか?


そういうときに必ず行かない付き合いの悪い人っていませんか?


もし、そういう人を見かけたらどう言うでしょうか?


「あいつ、いつも行かねえよなー」とか

「あの人、付き合い悪いよねー」でしょうか?


僕は、以前↑こういう風に言う人でした。

でも、ここで考え方のスイッチを切り替えると、

こういうふうに考えられないでしょうか?



「あいつ、いつも行かねえよなー・・・・

 でも、逆に言えば、自分の時間を大切にしているってことだよな」



どうでしょう?

この考え方は?


考え方のスイッチを切り替えると、

その人に対して、否定的な考えにならないのではないでしょうか?

また、こういう風に考えると、

行かない事がいやなことではなく、

人は人って思えるのではないでしょうか?



つまり、今日の気づきは、



「肯定的に捉えると、いい面となって出てくる」



ということでしょうか。



ポジティブな見方をできれば、

自分がポジティブになれると思いますし、

昨日話したとおり、表があれば裏もありますから~♪


つまり

「あいついつも行かない」がネガティブであり、表の部分

「でも、自分の時間を大切にしているってことだよなー」がポジティブであり、裏の部分。

ということです。



肯定的に物事を捉えるために、

考え方のスイッチを切り替えてみてはどうでしょうか?

きっといいことがありますよー。