ほんとは来週書こうと思ったんだけど。
こんにちは。かんかんです。
久しぶりにジェネジャンを見ています。
(って、久しぶりってあまりやらないから当たり前か。笑)
この番組、まじやばいです。
いろいろな思いが出てきます。
そんな中、来週の月曜日(16日)、ぼく32歳の誕生日を迎えます。
「ほんとは来週書こうと思ったけど。」
っていう題名。
ほんとは誕生日の日に更新しようと思っていました。
しかし、ジェネジャンっていう番組に引き出された。(笑)
何を書こうかな?って、いろいろと考えていました。
なんかかっこいいことでも書こうなーって思っていました。
でも、またそれが不恰好になるかもって感じたりもしていました。(笑)
書こうと思った内容は、自分の32年間について。
正直なところ、他人の人生の振り返りなんて、
読んでいてもなんのおもしろみもないかもしれません。
そこには共感できることもあるかもしれませんが、
それはその人の過去のことであり、決して他人には相容れない場面もあります。
そして、僕自身は過去にあまり頓着しない男。
それでもあえて書こうと思います。
32年間で人は、約28万時間を過ごしています。
正直こんなこと書いてもあまりにもでかすぎる数字のゆえ、実感がわきません。
でも、それぐらい長い時間を生きていればいろいろなことを経験してくるし、
いろいろなことに悩み、いろいろなことを考え、いろいろなことを感じてきたことはわかります。
とがった鉛筆が書くたびに丸くなっていくように、
とがった感情が消えて自分が丸まっていくのを感じています。
一方たまに削りなおしたみたいにとがることもあるが、
一生懸命書いて、丸みを出そうとしている自分がいます。
たくさんの人を好きになり、たくさんの出会いを経験し、
それでいてたくさんの別れを経験し、
それなりに出会いのうれしさと別れの悲しさを感じてきました。
(まあ、誰でもそうなのだろうが・・・)
自分の周りに起こる何もかもが不幸と感じ、
どうしてこう運がないのかとなげいたこともあれば、
今みたいに、何が起こっても動じることがなく、
何事も幸せって感じる自分もいたりします。
さて、自分の32年間。
どうだったんだろう?
【お金の価値観】
あえて、これにふれてみようと思う。
今までの日本ではお金についてふれることはタブーとされていた。
しかし、お金と人生は切り離せない以上、こういうことを語るのも大事だと思います。
考えてみると、どうしようもない時代もありました。
自分の価値観、持論という面で書かせてもらいますが、
お金のためだけに仕事したり、逆にお金にならないことはしないって思っていた時代もありました。
お金が基準になり、人生が何をやっても楽しくなかったです。
お金をもらい、使うとき以外は。
“お金のために生きて何が悪い”という考えを持っている人もいるかな?って思い、
「自分の価値観」という表現を使いましたが、ぼくはそれが悪いとは思いません。
清貧ぶるつもりも、清貧がいいと言うつもりも一切ありません。
というより誰でもそうなんじゃないかな?
①好きな人とずっと一緒に入れて、カラダも健康であり、
友達や周りの人に恵まれている。でも、お金だけがない。
②好きな人とずっと一緒に入れて、カラダも健康であり、
友達や周りの人に恵まれている。そしてお金もある。
どっちの人生も選べるなら、100人中99人が②を選ぶんではないだろうか?
清貧なんていう言葉があるが、これはお金がないからそういうふうにしているだけであり、お金がある人が清貧にはなれないのではと思います。(注:自分の価値観ですよ)
でも、清貧がいけないというわけではないのです。
この辺のニュアンスを次の項目で書こうと思います。
どちらにしても、ぼくは欲深い人間なので、お金は必要だと思うし、そこに人生の目的であるとか夢であるとかがマッチしていればさらにいいのでは?と思います。
そして、そんな人生をこれから歩んでいこうと思います。
【考え方】
ここ3、4年で大きく変わってきたのがこの考え方という点。
価値観とも言うだろうか?
そしてこの考え方はさらにここ1年ですごく変わったと思います。
何が一番変わったか、というのが先ほど言おうとしたことなのですが、
人の考え方をしっかりと認めるということができるようになったことです。
先ほどので言えば、ぼくは清貧にはなりたくないが、
他の人が清貧がいいというのならばそれを認めるということ。
当たり前のことかもしれませんが、
今までの自分だったら、清貧がいいって言ったら、
その考えを変えようとしていたと思います。
「清貧のどこがいいの?お金がないだけじゃん!」って。
きょうジェネジャンを見ていてある出演者がこういうことを言っていました。
「みんな上辺だけの付き合いに感じてしまう」って。
それに対してふかわりょうさんがこう言っていました。
「だれだってそうだよ。携帯のメモリが何百件あったって、
ほんとうに親友って呼べる深い付き合いをしているのは2,3件だよ」
確かにそうかもしれない。
というより正直、自分がそうだ。(笑)
大人になれば、誰だって知ってる。
人に深く関わらないことで自分が傷つくことが少なくなるって。
めんどくさいことには関わらないのが一番って。
そして人間関係っていうのがほんとうにめんどくさいって。
自分にもそういう時代がありました。
人が悩んでいようが知らん顔、
病気になって入院してもお見舞いに行かない、
誰かの親がなくなってかろうじてお葬式に行くも、
非当事者意識でいてその人に会ったときだけお悔やみを言い、
あとは友達と適当にだべっている。
ほんとうに情けないことだと思います。
でも、今は違います。
相手が望むのであれば、人には深く関わっていきたいと思いますし、
そういう人間がいてもいいんじゃないかなって思います。
世界には、約65億人という人口がいます。
そのすべての人にたとえ10秒だけでも関わるためには、約206年かかります。
人間の寿命の約2、5倍です。
そう考えると、今までに出会ってきた人との出会いは、ほんとうに奇跡的なことなんだな~と感じます。
その中で残念ながら喧嘩別れした人、立場や環境が変わってしまい、なんとなく離れてしまった人などいます。
これって本当に残念なことですが、お互い、もしくはどちらかが望まない関係であるならば、それは仕方ないことだと思います。
でも、逆にお互いが望むのならばその人の考え方、感じ方、思っていることなどにはふれたいと思いますし、自分のこともわかってほしいと思います。
余談になりますが(でたー、脱線!笑)、
「誰かに対して怒る」という行為はそれだけものごとを真剣に考えているからだと思います。
(もちろん、人を否定的にみているということとは一線を隔しますが。。。)
つまりそれだけその人を大切に思い、わかってほしい、気付いて欲しいっていう最大限のメッセージだと思うんですね。
だからこそ、感情的にもなるし、怒りもする、最近ほんとうにそう思います。
最後に31歳という1年を振り返ってみると、
ほんとうに出会い、経験、学びが多かったそんな実りの多い年だったと思います。
自分が何回パラダイムシフトしたかわかりません(笑)
そう考えると、31歳という年齢は、自分にとって考え方の0歳、
つまり人生の新たなスタートの年のような気がします。
出会った人に多くのことを教えていただきました。
もちろんその前から出会ってた人にも多くのことを学ばせてもらいました。
つきなみですが、本当にありがとうございました。
そして2月から新しい環境に移るわけですが、果たしてどんな出会いが待っているんだろうと考えるととわくわくしちゃいます♪
「未」という字を調べると、「今になっても実現していない」という意味があるそうです。
そうすると、「未来」というのは
「今になってもまだ実現していない。
けれどもこれから確実に来るもの」
っていうことになりますよね。
その未来に楽しさを覚える自分に成長したことを、
自分自身でほめようと思います。
人生まだまだこれから。
いくつまで生きるかわからないけど、
充実した人生を送りたい、後悔しない人生を送りたい、
周りの人は涙、自分は笑顔で死んでいきたい、
そんな死に方ができるような人生をこれからも歩んでいこうと思います。
そして、僕自身、まだまだ未熟な人間。
皆さんの支えがなければ、歩くこともままならないでしょう。
そんなかんかんですが、これからもどうぞよろしくお願いします。